【乱文注意】極上のライブを観て芸術性について考えさせられた話。
こんばんは!ミウラです。
最近、リリーフランキーさんの「スナック・ラジオ」がお気に入りです。
TOKYO FMのラジオ番組なんですが、夕方放送の番組なのに下ネタも多く、スポンサーが怒っていて打ち切りになるかもしれないなんて言ってるんですが(笑)ずっと続いて欲しいー!!
今もradikoのタイムフリーで今日の分を聞きながらブログ書いてます^^
さて、昨日はジャズのライブに行ってきました。
ピアノとサックスのDUOです。
大好きなピアニスト &サックス奏者さん。
いつもはカルテット、クィンテットで彼らのオリジナルを聴くことが多いのですが、昨日はスタンダードが中心。とても新鮮でした。
国内外で活躍されていて、コアなファンも多いお二人だとは思うのですが、オリジナリティに溢れていていつもこの上ない刺激や感動、極上の気持ちを与えてくれるミュージシャン。
彼らのライブに行くと、その場所に足を運んだ自分を褒めてあげたくなるほど「行ってよかった!!」と幸せな気持ちになります。
ライブって、「音楽を生で聴きに行く体験」をさせてくれる場所だと思うのですが、耳や目だけじゃなくて、身体全体で音の波に身体が包まれて魂の奥に深く深く染み込んで、感動が溢れ出てくるような、そんな極上の時間を昨日も過ごさせていただきました。
国内でジャズを聴きに行くことはボチボチあるし、その度もちろん感動するし行ってよかったなぁとは思うんだけど、彼らの音楽は私にとっては別格。なんでなんだろうなぁー。
「素晴らしい音楽を聴かせて頂いた!」というより「素晴らしい人生体験をさせて頂いた!」っていう感覚。会場の空気を音の波動、自身の存在感によって特別な空間に変える魔法。
それこそが「アート」なんだろうなぁとぼんやり考えたり。
聴衆にそこまでの感動を与えられるミュージシャンってなかなかいないよなと思う。
昨日の演奏はスタンダードが中心だったけど、今までに聴いたことがないようなアプローチで・・なんだろう、小手先の斬新なものではなく、トラディショナルなものや、これまでの自分の中にある表現を壊して壊して再構築して、自分でも意識していないようなところ・・潜在意識とか宇宙とかから溢れ出ているんじゃないかって思うような音楽。うーん語彙力の無さが歯痒い。
音楽家の事をミュージシャンと呼んだり、アーティスト(芸術家)と呼んだりするけれど、か彼らは間違いなく「アーティスト(芸術家)」。
その違いって当たり前かもしれないけど、まず第一に「自分の揺るぎない表現」を出来る人なんだろうなぁ。ああああ、でも全然こんな言葉じゃ足りない。表現できなくて本当もどかしい。
さてその点、ミウラは自身は全然芸術家じゃないと思う。
特に最近は、技術を伸ばすこと(足りないばかりに・・)ばかりに気を取られている。
技術はあればある程いいと私自身は考えるし(表現の幅が増えるし)、出来うる限りの努力はしたい。だけど、自分の演奏する音に対しての覚悟というか、開き直りというか・・がまるでない。特に最近。これは音楽の仕事を始める前の方があったかもしれないな。
「さあ!!自分の音楽を演奏するぞ!!!!!」っていう姿勢、覚悟、気合いがまるで足りない。特に今は家で技術的な練習ばかりしているからかもしれないけど・・。
身に付けた技術も、そんな姿勢で演奏してたら無意味になっちゃうよね・・。
ちょっと前に放送された、上に書いた「スナック・ラジオ」でもリリーさんが言ってた。
言葉は全部覚えてなくて、ニュアンスしか覚えてないけど、「自分を表現することは恥ずかしくて当たり前だ」っていうこと。確か、リスナーさんの「異性に恥ずかしくて話しかけられない」みたいなお悩みの回答だったと思うんだけど、グサリと刺さりました。
あと、一皮も二皮も三皮も剥けて(どんだけ厚皮纏ってるんだよ・・)「これが自分の演奏です!!」って言える演奏を出来るように・・・オレはなる!!!!!!
恥ずかしさを越えて!!!!!脱っ皮する!!!!!!
なんか、アラフォーのくせに中二男子のような文章だな・・。
厨二病かな。
それも含めて自分だからしょうがない。
ここ最近自分の演奏について「なんだかなー」と思っていたので(楽しんではいるけど)素晴らしい気づきをくださった、お二人の素晴らしい芸術家に感謝!!!!
毎度毎度の乱文失礼しましたー!!!!!